忍者ブログ

sehrログ

とってもなログ
忍者ブログ [PR]
04 2024/05 1 2 3 45 6 7 8 9 10 1112 13 14 15 16 17 1819 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 31 06

:2024:05/04/14:05  ++  [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

:2007:01/30/00:51  ++  "It" と呼ばれた子…のカバーについて

相変わらず今さら、なものについて書きます。
というか流行りものは沢山のひとが書くのに任せます。
…といいつつコレは昔の流行りものですよね、確か(苦笑)
普段はこういうの読まないんですが、薦められて試してみました。

文体は非常にあっさりしててベストセラーってこんな感じかと。
でも児童虐待(しかも常軌を逸したような)という重くなりがちなテーマを、
そして多くの人に読んでもらうにはこれくらいが良いのかもしれませんね。
電車から見える暖かそうな街の灯りの中にもこういった狂気が潜んでいることも…
そう思わせるリアリティーはありました。

ただですね、このカバーに少し違和感があるのです。
とてもいたいけな表情をした男の子が写っているのですが、可愛すぎませんか?
虐待が始まったのは4,5歳とありますからギリギリ範囲に入るかもしれませんが、
虐待から保護されたのは小5、しかも1年目を落第しているのでだいたい12歳。
ガスコンロで焼かれたり、洗剤を飲まされたりと壮絶な体験を隠さずに話す、
そこにこの本のリアリティーがあるのにカバーはあくまでソフトに上目遣いで訴えるのです。

もちろんだからこそベストセラーになったんでしょう。
しかし、こうした罪のない(あるいはより悪質な)すりかえがマスプロダクトには溢れています。
例の「あるある」に繋がるパッケージングがここに見え隠れしてる、
そう言っては言いすぎでしょうか。

PR

:2007:01/18/22:26  ++  インメンゼエ

何故に、何故に自分はここにいるのか。
なぜ自分の小部屋の窓際に腰かけて、シュトルムの「インメンゼエ」を読みながら、
胡桃の老木が大儀そうに音を立てる、夕ぐれの庭に時々目をやっていないのか。

このインメンゼエが「みずうみ」だと気付いたのはごく最近。
実吉さんの訳、独特な雰囲気が出て好きです…が分からなかったよコレは(笑)

:2007:01/15/02:17  ++  Immensee

,,Du sollst schon duerfen; du wirst dann wirklich meine Frau,
und dann haben die andern dir nichts zu befehlen."
,,Aber meine Mutter wird weinen."
,,Wir kommen ja wieder", sagte Reinhard heftig; ,,sag es nur grade heraus:
willst du mit mir reisen? Sonst geh ich allein; und dann komme ich nimmer wieder."
Der Kleinen kam das Weinen nahe. ,,Mach nur nicht so boese Augen", sagte sie;
,,ich will ja mit nach Indien."
Reinhard fasste sie mit ausgelassener Freude bei beiden Haenden und
zog sie hinaus auf die Wiese.
,,Nach Indien, nach Indien!" sang er und schwenkte sich mit ihr im Kreise,
dass ihr das rote Tuechelchen vom Halse flog. 
 

:2006:12/31/15:34  ++  デミアン

今年最後の記事はデミアンについて

この小説、出だしが良いですよね。
まず最初に作品全体に流れるモチーフを提示し、そのモチーフが形を変えつつ
繰り返し現れて語りかけてくる。日本では北杜夫の幽霊あたりがそれに近いでしょうか。

いってみればサビから始まる音楽とおんなじ訳ですが、そもそもこういった形式というのは非常に普遍的です。
例えば、手塚治虫のキャラクターってこいつ他にもいたじゃん!ってのがいくつもいますよね。
ヒゲオヤジとか本間先生とか。おなじキャラクターが時と場所を変え物語が始まる訳ですが、
その人が大切にしているモチーフってそんなに沢山あるわけではないと思うのです。

人間の使命とは自分自身の元へと戻ることだ、というのがこの小説のモチーフですが、
このモチーフとその変形の具合には第一次世界大戦の影響が色濃く反映されています。

敗戦によって自分を支える社会的な基盤に信頼が置けなくなった時、
帰る場所が何処にあるかといえば自分しかなかったんでしょうか。

ただ、それが「超人」とか言い出すニーチェのいるドイツだったので、
日本的な情緒的なものとは対照的な思想的なものになっています。

また、当時の影響としては隆盛しつつあった精神分析の影響(特に夢判断)も見逃せませんね。
これについてはまた書く機会もあると思いますが、今日はこんなところで。

それではみなさま良いお年を。






:2006:12/22/01:16  ++  続いて

今度は100年前の話。
…とはいっても正確にはずれますが。

トニオ・クレーゲル、僕の大好きな本の一つです。
非常に精緻・巧妙に練り上げられた結晶のようなマンの文章ですが、確かに現代的とは言えませんね。
ただ、14歳の時にこれを読んだ僕はガツンとやられてしまい、以来心に焼き付いています。
物語の構成にも細心の注意が払われています。
同じモチーフが形を変えて繰り返し現れる、音楽的な感覚を受けるのです。

こういったクラシックなタイプの小説はもう(売れないので)出ないんでしょうね。
非常に残念です。